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重いと思い

先ほど母親と喧嘩した。

なかなか久しぶりな気がする。


なるべくカッとならないようにしていたが、少し熱くなりすぎたかもしれない。

ケンカなんてものはどう言い訳しようとも、個人の主張のしあいでしかない。

どちらかが妥協しなければまじわりあうことは絶対にない。


しかしケンカしているというのに、いやケンカして頭に血が上っているというのに、


妥協することなどできるだろうか?


少なくともオレは絶対にできない。そしてほかの人もそうであると考えている。


要はケンカなんてものは最も無意味なものであるのだ。

それが個人のものであっても、大きくいえば国同士のものであっても。

交わることはほぼ不可能であるからである。


話がそれた。

長くなったが、言いたかったのはケンカなんていう無駄なことをしてしまったということだ。


そしてそれがここに今そのことを書いている理由でもある。

どんなにムカついても、ケンカなどはするな。

そう、自分への戒めでもあり、そしてこの日が目印となるように。



本題に入る。


オレはどんなにムカついても、どんだけうかれていても、

母へは感謝している。


自分の思いを言葉にするのは苦手なので、あまり直接伝えることはできないが。

ただプライドが高いだけかもしれない。いやそうだとも思う。


しかし、本当に伝えたい思いは往々にして自分の中にしまいこんでしまうものなのだ。

それは自分だけかもしれないが。



母へは感謝している。


いや、しなければならない、のほうが正しい。


それはどれほど欠点が目についても、どれほど言い訳しようとも、

揺らぐことはない。


いやはずだった。


厳密にいえば今でももちろん感謝している。


しかしこれからはそう思おうとすることはやめてしまうかもしれない。


つまりどういうことかといえば、

母は「ありがとう」の言葉なしでは感謝の気持ちを感じることはないという事実を理解し、それに対して自分の思いへ疑問を投げかけているのだ。


その事実はオレが勝手に結論を出していたわけではない。


もちろん質疑応答の形であったとはいえ母の口から聞いたものだ。


それが本当であるならば―いや本当だろうが、―それはとても悲しいことだ。


みじめな自分を嘆かわしく思おうというわけではない。


しかし、今の気持ちはなんともいえないむなしさでいっぱいだ。


最初に自分は母へ感謝をしている、といった。

それが揺らぐこともない、と。


その気持ちは紛れもない真実だが、ここで疑問を持たなければならないのだ。


母は言葉でしか思いを認識できないのだとすれば、それはつまり、


オレの思い、要は母への感謝の思いも、認識できないのだ。


ひっくり返せば、母は言葉で感謝を言わない(それも聞けば随分細かい境界だったが)オレは感謝の気持ちを持っていないということになる。


母の観点では、俺は感謝していない人間なのだ。


屁理屈だと笑われればそれまでだが、

それも直接聞いた事実であるので仕方がない。


「ありがとうの言葉なしで自分は感謝の気持ちを知ることはできない」と。


それは確かにそうかもしれない。


では、自分の感謝の気持ちは何処へゆくのだ?

いや、どこにいたのだ?


ほかでもない自分自身だが、それは悪くいえばただのオレの思いこみでしかないのだ。


届くことのない思いなど、最初から存在していないことと同じなのだ。


届いてほしいわけでない。


しかしあまりにも母の価値観は残酷すぎる。


じぶんの思いはすべて口に出してやらないと、伝わらないのだ。


それはとても恐ろしいことだ。


言葉にのみ執着し、そして思いは完全に否定されている。


心、というと大げさかもしれないが、いわゆる母に対するそういった感情は言葉なしでは存在していないのだ。


それはとてつもなく哀しいことではないだろうか。


自分以外に、思いが伝わってほしいというのはもちろんただの甘えでしかないが、

それはゆきすぎるとただの感情否定になる。


いままさにいや、今までも、母はそういう人間だったのだ。


それは自分の母への感謝の思いを揺らがすのに十分だと思う。


自分の感謝の気持ちは透明人間みたいなものなのだ。


存在してるのに誰も見ることができない。誰もがそこには何もないとしか思うことはできない―


それは一言でいえば、無意味、無価値、無駄なもの、


不必要なゴミだ


そんなものならば、持っていても重たいだけだ。


オレは自分さえよければいい。

自分よりも他人、なんて言っている者ほど自分へと欲情している人間はないのだ。


ならば最初から自分ひとりに執着するべきだ、とおもう。


大人であることとは、自分を大切にすることなのだ。


一人でいることのできる能力こそが大人である資格である。

これは心理学で有名な考え方らしい。



話がそれた。




そう、自分さよえければそれでいい。

余計なものは荷物にしかならないのだ。


置いていけばいい。



そんなもの何処にもないのだから。




追伸

今回のケンカで強く思ったことがある。

それは母に決定的に欠けているものだ。


いや、足りない、といったほうが正しいかも知れないが。


それは許す心、だ。

他人を許すことを初めとして、

自分も許してやれる心。


母は疲れていたり、頑張っている自分に自ら同情し、そしてその行いの価値を求める。

それはつまり、他人からの言葉、評価だ


それを得られないとどうしようもなく自分が分からなくなり、そして自分を否定してしまうのだろう。


それに自分で気がつかない限り、母はこのまま何も変わることはない。


それは絶対にそうだ。


それが正しいか正しくないかとかそういうことではない。


ただ、道に落ちてる石ころのように、ゴミのように捨てられた骨のように、

姿を変えることなく、ずっとそのままなのだ。


それに気がつけなければ。


変わりたいと望まなければ。



ただそれだけしか必要ない。


たったそれだけ。


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